今や見かける機会さえ少なくなってしまったワラ(藁)ですが、昔の暮らしでは大切な資源でした。身近にあるワラなどの材料を使って、さまざまな道具を自分で作り、自分で使っていました。暮らしの変化とともに消えゆく運命のワラ細工品を、95歳の小林守雄(こばやしもりお)さんが今も作り続けています。
95歳のワラ細工職人が伝える、昔の暮らし
「昔は、自分で使う物はだいたい、自分で作ったがだ」と、小林守雄さんは話します。守雄さんは、令和8年2月で95歳になりました。
今でこそ、ワラはあまり見かけなくなりました。稲刈りの際、コンバインで細かく砕いて田んぼに撒いてしまうからです。かつて、刈り取って束ねた稲は「はざかけ」していました。木々や電柱に棒を渡して、そこに稲を架けて天日干しして、脱穀すると、たくさんのワラが残りました。ワラは大切な資源でしたので、屋根裏で目一杯に積み上げて保管して、一年中、使ったそうです。
それほど使ったとなると、どれくらいの量だったのだろう。守雄さんに「軽トラで何台分くらいですかね?」と質問しましたら、少し唖然としてから答えてくれました。
「何台分なんてもんじゃないこっつあ。天井裏に届くほど、そりゃあもう大量んがだすけ。」
暮らしが豊かになり、便利な道具を簡単に購入できるようになると、ワラ細工は日常から姿を消していきました。今では、かつて当たり前に使われていた道具を目にする機会も、作り手の姿も、少なくなっています。
現在、雪国館では「小林守雄さん作品展 ~昔の暮らしを伝えるワラ細工品~」を開催中です。守雄さんが製作したさまざまなワラ細工品を、約30点を展示しています。会場は、雪国館入口の無料スペースですので、どなたも気軽にお立ち寄りください。
蓑(みの)が作られれば一人前。ワラ細工品の中でも「大物」の蓑
「蓑が作られれば、ワラ細工は一人前」と言われるほど、蓑作りには技術と経験が必要とされてきました。
蓑は、山仕事や外仕事の際に雨や雪から身を守るための雨具・防寒具。かつてはヒロロ(ミヤマカンスゲ)が材料として使われていました。ヒロロ製はミチシバ製に比べて約半分の重さですが、ちぎれやすいのが難点。作るにもヒロロという草が、山間の湿地に生えるため採取も容易ではありません。そのため守雄さんは、家の近くで採取しやすいミチシバを使って蓑を作っています。
蓑の大きさは襟の長さを基準に決めます。寸法を測る際には、親指と中指を広げた長さを一つの単位とする「指尺」を使います。守雄さんは、自分の手の大きさを基準に長さを測りながら、蓑を形にしていきます。「頭の中にしか設計図がない」と話します。
「蓑の作り手が少なくなっている。後世に伝えるために作っている」
もはや必要されなくなってしまった蓑ですが、守雄さんは作り方を忘れないためにも、95歳になった現在も、新しい蓑を作り続けています。
めじょげであった、赤ん坊を入れた「つぐら」
つぐらは、赤ん坊を入れて使う、子育てに必要な道具でした。赤ん坊をつぐらの中に入れて、両腕をヒモで巻いて縛り、「つぐら布団」でくるみました。隙間には布をギッチリと詰め込み、動けないようにしました。つぐらから落ちると危ないので、しっかり固めたそうです。そして、留守宅に赤ん坊だけ置いて、親は外仕事へ出ました。
「使ったのは、おらが最後の世代だろう。めじょげ(=かわいそう)であったこっつお。いまは、そんげん必要がねえがだすけ、いい時代だよ」
製作期間は約7日間、重量は約10キロもあります。実物大で作るのはこれが最後だろうし、今後も作る人はいないだろうと話していました。
常に何かしら背負っていた、昔の生活
今いちばん使わなくなったワラ細工品はセナコウジ、と守雄さんは言います。荷物を背負う必要がないからです。
荷物を背負う時はセナコウジを着て、荷縄で縛って運搬しました。セナコウジを着ないで背負うと背中が痛くなり、荷物もずり落ちてしまうそうです。
「昔は、背中を空にすることなんてなかったよ。常に、何かを背負ってた。」
山仕事に行く際、シバッキ(雑木)を刈るための道具や、昼食を入れて背負ったのがヒルッタスです。
ヒルッタスの中には、主にメンパ(曲げわっぱ。木製の弁当箱)を入れました。白飯を五合ほど、パンパンに詰めて、箸を刺せば持ち上げられたほどでした。
「あっちい(熱い)マンマ(ご飯)に生の塩マスを一切れ挟むと、んーめえ(旨い)ってがなあ。塩マスのショッペエがが、マンマに染みてそう。」
メンパ以外の物はほとんど入れなかったそうです。炊いたご飯5合は、百科事典1冊ほどの重さだと思います。ズッシリきますね。
おひつを入れた「飯つぐら」と冷たいご飯
ご飯が冷めないように、おひつを入れていたのが「飯つぐら」。電気ジャーも電子レンジもない時代ですから、必需品ですよね。そう言うと、守雄さんの答えは意外にも「いや、家では使わなかったよ」とのこと。
「マンマを炊くがは、だいたい、朝だけ。昼と夜は、冷たいマンマを食うか、雑炊にした。普段は雑炊が多かったなあ。ごっつぉ(ご馳走のこと)は、赤飯か餅。今も大好き。」
牛も馬も、ワラの履物を履かせていた
人間の履物に、草鞋(わらじ)がありますが、牛にも草鞋を履かせていました。馬の履物もあります。馬も草鞋ですよね、と聞くと「いや、馬は沓(くつ)」と言います。
写真の左が人間の草鞋。足の指で挟んで履きます。真ん中が、牛の草鞋。牛は爪が割れているので、人間と同じように爪をひっかけて履くのだそうです。馬は爪が割れていないので、スポッと履かせるだけだから、沓。牛馬ともに、前脚だけ履かせたそうです。
「うちが飼っていたのは牛。父親が博労(ばくろ)をしていた。牛の糞尿は堆肥にした。
ワラは刻んで、小糠(こぬか)を混ぜて、煮てから牛に食べさせた。おら村では、牛と馬の両方を飼うってことはなくて、どっちか一頭だった。」
蹄鉄が普及すると、ワラで作って履かせることはなくなったそうです。
消えゆく運命のワラ細工品
ワラ細工品は、もはや不要の産物になりました。蔵から出てきた古いものや、博物館で保管されていたものは劣化し、触るとポロポロとちぎれてしまいます。
ワラは乾燥に弱い、と守雄さんは言います。使っていれば自然に濡れたり、昔の家は風通しが良かったので、自然の湿度がワラ細工品にとって良かったのかもしれません。
そもそもワラ細工品は、湿度のある積雪期に作られていました。そうした方が丈夫な製品になったそうです。そして三月、残雪の頃、雪の上に置いて晒しました。着物だけでなく、ワラ細工品も「雪晒し(ゆきざらし)」をしたのです。
そうした昔ながらのワラ細工品は、消えゆく運命にあります。生活が変わり、不要となった現在、それは受け入れざるを得ないワラ細工の運命なのです。
それでも、守雄さんが今も新しいワラ細工品を作り続け、懸命に努力された結果が、雪国館でご覧いただけます。ぜひご来館ください。
雪国館スタッフ 高橋












